
私はひとりが好きです。
1人で作業したり、一人でカフェに行ったり、一人で映画館に行ったり。
1人は自由です。
誰にも干渉されることなく作業がはかどります。
誰もいない職場が好きなので、私は早朝に出勤して、集中して行わなければならない作業を済ませます。
私は孤独を楽しんでいます。
この「孤独」という事に関して誤解を解くと同時に、私がなぜ孤独を進めるのかを説いていきます。
孤独を進める3つの理由
- 人のストレスの大半は人間関係が原因
- 最後は「個」の力が問われる
- フットワークが軽い
紹介する前に孤独に3種類あることを紹介しておきます。
「孤独=1人でいること」ですが、孤独には大きく分けて3種類あります。
PRESIDENTより
①非選択的な孤独、②選択的孤独、③実存的な深い孤独、
我々が一般的に考える「孤独=寂しい」というのは①だ。独身(未婚、離婚、死別など)でパートナーがいない、親しい友人がいないなど、本人が望まないのに否応なく社会的に孤立した状態を指す。
②の「選択的孤独」は文字通り、自分で主体的に選んだ孤独。他人の束縛や周囲の同調圧力から解放され、1人を謳歌する生き方だ。ただし、必要な人とのかかわり合いは保っている。
③の「実存的な深い孤独」は、世の中の喧騒から離れて徹底的に孤独に徹し、自己の内面に深く沈潜する状態である。時折無性に1人になり、自分を見つめ直したいと思うようなケースだ。
私が今回紹介する孤独は②番です。
私は積極的に孤独を選択しています。
①番や③番の孤独ではないことを前提に話を進めたいと思います。
目次
1.人のストレスの大半は人間関係が原因
人間がストレスを感じるのはなぜかと考えたときに、やはり第一の原因は人間関係のストレスです。
仕事のストレスを細かく細分化すると
- 上司とのそりが合わない
- 会社の体育関係な雰囲気があわない
- 営業でお客様と話すことがいや
など、すべて人間が絡んできます。
この職場の人間関係があることによって失うものがあります。
まず自分の時間を失いますね。
職場の人間関係は、時に本当に煩わしいものです。
飲み会に誘われたから断れずについていく
先輩が残っているから職場に残らないといけない
といったように、本来自分のために確保しておいた時間が奪われということです。
このように、望まない人間関係や集団に属すことは、私たちの人生で最も重要であろう時間を確実に奪っていきます。
これが大いにストレスなのではないでしょうか。
孤独を選択すれば悩みは解消されます。
飲み会を断ったら上司に嫌われる
評価が下がる
仕事が回ってこない
付き合いが悪い奴と思われる
そんな職場はとっとと辞めてしまいましょう。
自分の時間は自分の為にあります。
不必要な仲間関係を続ける必要なないです。積極的に孤独を選択してどんなデメリットがありますか?メリットしかないと思います。
- 自分の時間が増える
- 時間を使ってスキルを高めることができる
- 無駄な出費を抑えられる
上記以外にも、メリットはあるかと思いますが、自分で主体的に選んだ孤独は「寂しさ」は感じないはずです。
それは極端な例だよ
って思う方はそうかもしれません。
私は「必要だと思う人間関係は重要」だと思っています。そこを断ち切る必要はないです。
私の例ではありますが、社員はグループとしては100名くらいいますが、会社内の誰かと飲みに行ったり、遊んだりはしません。
必要な人とのみ打ち合わせを行う程度です。
仕事が進みにくいのではと言われると、NOです。
仕事をまかせても、周りの人はこなしてくれます。
仕事中はほとんど喋ることなく、ひたすらタスクをこなします。
無駄な人間関係はストレスでしかありません。
2.最後は「個」が力が問われる
みなさんは「ワンピース」と「キングダム」という漫画をご存知でしょうか。
私はどちらも愛読しています。
ワンピースは仲間に助けられて、共に成長していく主人公の物語だと自分は考えています。
逆にキングダムは主人公がガンガン突っ走っていきます。そして主要な仲間が死んでいきます。
私はどちらかといえばキングダム的思考です。
今の時代は、こちらの思考の方があっているのかなとも思いますし、仕事も結局最後は「個」だとも思っています。
本田圭祐もワールドカップ直前のインタビューで、最後は「個」の力が求められると言っていたことが、私の記憶には鮮明にあります。
- 仕事
- スポーツ
- 日常生活
突き詰めたらすべて孤独なのかもしれません。
先日引退された野球の上原浩治選手のインタビューは大変参考に私はなっています。
試合ではいつもひとりだからじゃないですかね。確かにキャッチャーや、バックには守ってくれる選手がいるけど、実際に直接対戦するのはピッチャーだけ。誰も助けてはくれない。バッターも同じですよね。結局、グラウンドにいるときって誰も助けてくれない、つねに自分と相手と戦わなければいけない孤独な状態なんです。
上原浩治選手のインタビュー
誰かが助けてくれると期待していないか
私はおかげさまで、たくさんの経営者の方とお会いする機会があります。
経営だけでなく、優秀な方に、たくさんお会いすることができています。
その度に思うのが優秀な人ほど「自責」。
他責にしません。
万が一会社から人がいなくなったとしても、自分でやりぬいてやるという気持ちがとても強いです。
経営者は孤独とよく言われますが、彼らこそまさに孤独の中で「個」の力を突き詰めた人たちだと思っています。
結局、人に頼っていたり、他責にしていたり、マジョリティーの意見に従っていると力は付かないと思います。
積極的に孤独を選択して、「個」の力を磨くしかないのではないでしょうか。
自分一人だけの時間を作って「個」を磨く必要があると思っています。
3.フットワークが軽い
これは賛否両論あるかもしれませんが、私は孤独であることはフットワークが軽く、なんにでも挑戦できるいい状態であると思っています。
25歳で教員を辞し、海外へ留学、その後縁もゆかりない土地にて働いていますが、この決断ができたのも、
- 周囲の意見に従わなかった
- 1人で考え抜いた
- 自分の強みを考え磨いた
からだと思っています。
といにかく一人孤独に考え抜きました。
遠く離れた地で働くことは最高のメリットです。
それは、知り合い・友人がいないからだと思います。
自分が集団に依存していたら
1人で考え抜くことがなかったら
こんなにも、いろいろ体験ができなかった、今の自分はなかったと心から思います。
誰かと同じは時にリスクになりうる
- 家族
- 恋人
- 親友
- 仲間
どれもいい言葉ですし、私自身も大切にしたい存在ではあります。
しかしながらホリエモンは、結婚することは人生のコストだと主張しています。
私は現在、結婚もしていませんし、恋人もいません。親友と呼べるような長い付き合いの人は今働いている職場にいません。
よって、私を「ここ」にとどめておく、足枷となる存在がいないのです。
常に自分の思うがまま、悠々自適に行動することが可能です。
このフットワークの軽さ、進むべき方向をいつでも柔軟に変えられるのは孤独を選択したが故の贈り物だと私は思っています。
皆さんは、誰かに属す・何かに属すことによって本来持っていた軽快さを失っていないでしょうか。
私は家族を持つこと、恋人と過ごすことを否定しているのではありませんので誤解を招かないように一言加えておきます。
私が今回伝えたいのは、積極的な孤独を選択した場合です。
選択的な孤独です。
冒頭で紹介した、①の非選択的な孤独は認知症、社会的な孤立や精神疾患のようなデメリットがあります。
「孤独=さみしい」と定義された場合ですね。
私自身は今後も積極的な孤独を選択していこうと思います。
本当に必要な人間関係のみを大切にしていきたい。
そのつながりはもしかしたらSNS上で見つかるかもしれないし、現実世界で起こるかもしれません。
いずれにせよ、私は「個」を磨き、自分のブランド価値を高めたいと思います。
その手段として孤独を選択します。
皆さんはどうしますか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。