
教員を辞めて残念に思う事・後悔したことを紹介したいと思います。
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私がなぜ教員を志したのか。
それはサッカーを続けたかったからです。
中学校から本格的にサッカーを始めて、大学まで続けました。
中学校の時の夢はもちろんサッカー選手。
日本代表になって世界で活躍したと思っていました。
しかし私には完全にセンスが欠けていました。
そして身体能力も高くない、一般的なスポーツ選手です。
中学校の時は、自分の可能性を限りなく信じていましたが、高校の時にかなり上手な先輩が国体の選考から落ちたときに
サッカー選手になるのはめちゃくちゃハードル高い
って気付きました。
実際に強豪校に通っていましたが、自分はレギュラーにもなることが出来ず完全に心折れた感じですね。
ただサッカーしかしていなかったので自分が何をしていいのかも正直分からず、途方に暮れたまま浪人生活を過ごし、大学に進みました。
結局、大学でも4年間サッカーを続けました。
就職活動もしなければいけない時期が近づくと、いよいよ自分が何がしたいのかを真剣に考えだします。
行き着いたのが、どのようにしたらサッカーをしながらご飯が食べれるのか、ということと、電車通勤で死んだような顔して通うのは絶対に嫌といった答えでした。
いろいろ考えた結果、教師ならそれが可能だなという答えに行き着きました。
結果として、スポーツをする事、サッカー中心で回ってきたのでスポーツのすばらしさを伝えられたらなといった感じです。
まとめると
・サッカーを続けたかった
・スポーツの素晴らしさを伝えたかった
・満員電車での通勤が嫌だった(笑)
が私が教員になった理由です。
実際になってみて、目の前の子供たちに関わることで、彼らの成長していく姿が見れるのがとてもよかった。
あとは大人達のめちゃくちゃ汚い世界に比べたら、学校で生徒たちと過ごしていた方が、問題もありますがよっぽど心が洗われますね(笑)
3年間という短い期間でしたがとても充実していました。
その中で退職し、振り返ってみて残念に思う事・後悔したことを書いていきたいと思います。
目次
汚い世界にどっぷりいること
ひねくれた生徒
問題ばかり起こす生徒
教師に喧嘩を売ってくる生徒
などなど、様々な生徒がいました。
彼らの家庭環境は様々ですし、どうして彼らがそのような状態になってしまったのか分かりません。
しかしながら、3年間真剣に向き合わせてもらったので、たいていそのような問題があった生徒のほうが最後に「先生が担任で良かった」、「学校楽しかった」など温かい言葉をかけてくれます。
子供たちって素直ですから、思ったことはすぐ言いますし、思ってないことは言いません。
また、今問題になっているブラック部活動も私は大歓迎だったので夏休みはほとんど毎日、年末もぎりぎりまで活動し、年始もすぐに活動始めていました。
子供たちが嬉しかったかは別(笑)
これも結果としてですが「精神的に強くなれた」とか「高校生活の思い出は部活動で、自分の中ではサッカーが一番でした」などの言葉ももらいました。
彼らと真剣に向き合えば向き合うほど、しっかりと反応が返ってきます。
人を信じて活動するのって素晴らしいなとも気付かせてくれます。(もちろん、裏切られることもありますよ(笑))
一方大人の世界を見てください
・人の足の引っ張り合い
・上司・部下の愚痴
・ゴマすり・忖度・空気を読む
・主張すれば叩かれる
・お金の呪縛に囚われた人たち
・顔が死んでる
挙げてたらキリがないですが、本当に今は汚い世界にどっぷりつかってるなーと思っています。
表面上は
みんなで協力しよう
といいながら、根回ししたり、上司にゴマ擦ったりほんとに汚いwwww
それに比べて子供たちは、やりたくなかったっらやらない、教員はうざい存在だからゴマ擦る必要なしと思っているので清々しい!!
彼らといるといつまでも若々しくいられます。
精神的に病んでしまう先生もいると聞いてますが、大人社会のほうがよっぽど病みます。大人のほうが積極的に裏切ってきます。
そういった意味で、大人たちの世界は本当に汚い、汚い人たちが非常に多いなと思っています。
大人たちの「ありがとう」はインスタやFacebookの「いいね」と一緒です。
とりあえず言おう、みたいなやつですね。
子供たちの「ありがとうございます。」は素直に伝えてくれてると思っています。
心の底からの「ありがとう」が聞くことが少ないのは非常に残念です。
そういった意味で、これが後悔ポイント1です。
自分がドライになっていく
民間企業に勤めて感じているのは
常に結果・数字でしか評価されないし、評価できない
とうことです。
やはり
売り上げを最大限あげて利益を残し経費を抑えること
が企業としての最大の目的であるし、それが存続には欠かせないのは十分に承知しています。
教員をやっていた時はこれとは逆だった、
特に部活動指導においては一人のプレーヤーとして成長したのか、人間として成長したのかといったところが非常に重要だし、そこを評価してあげることが大事だと思っていました。
・挨拶はしっかりできるか
・整理整頓
・練習計画は自分達で立てることができるか
・PDCAを取り込むことができているか
などの、結果・勝敗ばかりにフォーカスしていては子供たちが拗ねてしまいますし、やる気をなくしてしまいます。
会社で努力のプロセスを評価してあげたいのですが、そこが難しいです。
数字は平等である
教員から民間に勤めて、自分が評価されるとき、相手を評価する時に一番感じたのは数字は平等だと思いました。
例えば、あなたが社長だとして
1.あまり好きではないけど売り上げ1億をあげてくる部下
2.親しく食事にいったりはするが売り上げ2000万の部下
どちらを高く評価するかとなったら、言うまでもなく1番です。数字で結果を残しているので当然です。
ここで
頑張っているから2番の部下の評価も上げるなんてことになったら、評価の軸がぶれて取り返しのつかない状態になってしまうと思います。
数字は平等で結果で評価するというのは、ものすごくドライですが社会人を評価するときにはとても適してますね。
教師をやめて、人のプロセスにもっとフォーカスして評価できないというのは非常に残念に思っています。
自分もそうですが、頑張っている過程は当然評価して欲しいし、それを評価してもらえると
次も頑張ろう
もっと違った取り組みをいしよう
と前向きに捉えることができます。
頑張っている子を評価したい気持ちはものすごくありますが、そんな綺麗ごとも言えず、どんどんドライになっていく自分を客観視すると
人間的な成長が大事
スポーツを通しての人間教育
と言ってた自分が嘘のようで、そんな自分が恋しくもあります。
そこが後悔ポイントの2つ目ですね。
異常が私が感じている、教員をやめて残念に思うことです。
少し具体的な例が少なかったかなとは思います。
教員には教員の良さがあります。
民間企業で働くことにも、当然魅力はあります。
二つの記事を参考にして、自分の将来を考えて見てください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。