
皆さん、おはこんばんにちは。
もうすぐお盆ですね。
最近は非常に猛暑も激しく、仕事をするのにしても非常に辛いですね。
8月入るまでに、新卒で採用した若手が何名かやめていきました。
彼らにとっては、実際に社会で働く事というのは非常に辛いものであったのでしょう。
学校で求められる力と、社会で求められる力は全く違います
学校では
【与えられたものに対して、「応える」または「答える」能力】
社会では
【自ら問題を探して、それを解決する能力】
が必要なのではないかなと思っています。
文章を見ても分かるように、学校で求められている力は社会では全く求められていない可能性があります。
この2つのギャップを踏まえて、本日のテーマを2つ挙げて深堀していきたいと思います。
目次
受動的と能動的
学校では、教師が出した問題に対して、正解を答えられる生徒が評価されます。
課題をしっかり期日通りに提出した人が評価されます。
常に与えられたものに対して、求められる反応や発言したものが評価されます。
自分から判断して行動すると
- はみ出し者
- 自分勝手
- 規律を乱している
といった形で評価対象とならない場合が多いと思います。
自由な発想を求めている一方で、行動や思考は制限されていると思っています。
非常に受動的です。
与えられるまで待ち、与えられたものに対しいて反応する。
答えは一つしかないので、それ以外は基本的には不正解。
社会に出てみたらどうでしょうか。
自分で考えて行動してください。
ボーっとしてないで自分で考えたら?
あなたの意見はないの?
上記のような突然、自分で考えることを求められます。
今まで相手が発信してきたことに対して、相手の求めることを答えることで評価されてきた。
しかもその答えは「教科書」というものに載っており、ご丁寧に「正解を導き出すための法則」等まで書かれています。
社会に出た途端に
答えが1つではなくなり、教科書もない。
すなわち問題も自分で探して、それに対する答えも自分で探さなければならない。
能動的な姿勢が非常に求められます。
文科省の生きる力と社会で求められる力のギャップ
これが文科省が出している「生きる力」です。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/
いかがでしょうか。
私が考える「求められる力」とは少しギャップがあると思います。
私が教員だったころ、受験期間に入る子たちは一年間「受動的」な学習にどっぷりつかります。ステージの節目で受動的な環境に身を置くのです。
中学受験
高校受験
大学受験
就職活動
そして社会人のステージに入ります。
この大事な節目で「受動的な学びと行動」をして、それが評価され次にステージに進みます。
よって、社会に出たときに能動的な学習を突然求められても無理ですよね。
友達は大切にしなくていい
この記事が取り上げられて少し「バズった」気がします。
https://president.jp/articles/-/23291
そして林先生もテレビ番組でこれを扱っています。
- 友達は大切にしましょう
- 仲間を大切に
- 集団行動が大事
やたら「友達」「仲間」「集団」を大切にしようという流れがあります。
確かに友達を大事にすることは非常に重要だと思いますが、その瞬間の友人関係が一生続くわけではない、といった事を教えて欲しいと思います。
会社での人間関係は意外とドライだと思います。
何かのプロジェクトで同じチームになれば、利益を出すために協力すると思います。
協力というよりかは、お互いのすべきこと・ポジションを理解した上で仕事を進めると思います。
そこに特別な友情は存在しないのではないでしょうか。
友達は大切にしないといけないことが誇張され、さらに友達関係は一生続くといった考え方を強要されてしまっている分、その考え方に耐え切れずに苦しんでいる人たちが多いと思っています。
自分が本当に必要だと思う人間関係を大切にすれば生きている、といった事を教えて欲しいと思います。
同年代ではなく、世代に違う人を大切にして欲しい
横の繋がり、すなわち同年代の関わりが学校では重視されると思います。
社会に出たら横の繋がり、同期よりも違う世代とのつながりが非常に重要になってくると思っています。
仕事をする時は年代の違う人たちと共に仕事をする事がほとんどだと思います。
上司・部下に当たる人が同年代になる時もありますが、これは稀だと思います。
これらをもとに考えると、学校教育でクラス単位の活動や、学年単位での活動を私は疑問視してしまいます。
同じ年代・同じ価値観の人たちとばかり一緒にいることが社会に出てみると結構役立たないことが多いです。
今その場にいる友達、価値観の会う同年代はほとんど付き合うことがなくなる人たちかもしれません。
横の繋がりよりも、縦のつながりが重要になることをしっかり教えて欲しい。
学校はそれを学ぶ機会を奪っている可能性があるかもしれない。
学校がもっと目的を明確にして欲しい
学校教育がなぜ存在するのかを、もっと明確にして欲しいと思います。
子供たちは「評価されるためだけに存在する」ものではありません
彼らは社会に出たら、自分で考えて行動することを強いられます。
その準備をするのが学校です。
誰かの評価を得るためにひたすら行動するのが彼らの使命ではありません。
この記事を書いたのは少しでも「自律した子供」「主体的な姿勢をもった子供」を育成して欲しいからです。
私も教員時代に、自分の言う事を聞いてくれる生徒がやりやすいのは事実でした。
しかしながら、その子たちばかりに目を向けていてはだめだし、「言う事を聞く生徒」を育てることは彼らの為にならないと理解できました。
学校がなぜ存在のかその「目的」をしっかりと考えて、教師は指導することが重要だと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。