空気を読む習慣はなぜ生まれるのか

空気読めよ!!

おまえ空気読めてないな~

日頃からよく聞く言葉ですね。

いつから私たちは「空気を読む」ようになったのでしょうか。

小学校1年生の時は、先生に当ててほしくて手をピンピンに挙げていたのを覚えています。

学芸会も主人公がやりたかった。

これが小学校6年生になったら、不思議と目立ちたくなくなり、皆が流れる方向に何となく流れていった。

中学校では、やたら生き生き発言する人が時々うざいと感じた(ごめんなさい)

そのときに

こいつ空気読まずに何言ってんだよ

って感情が芽生えたのを覚えています。

ただ、小学1年の私も、今の私も同じ人物なのに、いつから「空気読めよ」なんて思うようになったのでしょうか。いつからそんな習慣が身に付いたのでしょうか。

目立つことが嫌われる風習

小学校・中学校の道徳の時間を思い出して欲しい。

主人公はこの時どんな気持ちだったかな

あなただったら、この時にどんな対応をとりますか

といった質問が道徳の授業の問いとしてはよくあると思う。

相手の心情を考えてみるといった問いです。

私も道徳の授業を行ったことがあります。

傾向として、低学年はよく手が上がる・発言をするのに対して、その人数は高学年に上がるにしたがって下がっていきます。

これはなぜでしょうか。

低学年の頃は

発言することがかっこいい

という雰囲気だったからだと思います。

それがいつしか

目立つことがかっこ悪いになります。

なぜ道徳の授業を例に取ったか。それは、正解がないからです。数学・理科・国語等であれば必ず正解が存在し、答えがあっていれば単純に評価につながります。

社会に出ると、正解が何か分からない中で発言し、行動していかなくてはなりません。

話しを学校の道徳の授業に戻します。

そこで発言することによって

何を綺麗ごといってるんだ

あいつうざいな

といったように、ひねくれて取る人間もいます。

ここで目立つという事がリスクにつながります。

目立つことが嫌われることとイコールになりがちな恐怖があります。

そのような雰囲気の中でどのような行動をとるでしょうか。

大多数に従う。

発言をしない。

つまり空気を読み始めるのです。

発言して嫌われるくらいなら、目立っていじめられるくらいなら、場の空気に従おうという決断です。

社会に出ても一緒ですね。

会議で意見を求めても意見は出てきません。

若い社員が意見を言おうものなら

あいつ生意気だな

何もわかってないくせに

といった態度で接してくる人間が必ずいるのではないでしょうか。

本来は、自分の意見を言った人、自分の考えを主張した人が称賛されるべきであるのに、数の原理、すなわち少数派であるが故に叩かれ、排除されます。

小さいころから成人するまでに、このような場面に多々出くわすでしょう。

自分が当事者でなかったとしても、周りの誰かかがこのような状況に追い込まれていたら、どのような選択肢を取るのか。

当然、空気を読みますよね。

何を言うかではなく、誰が言うかがすべて

全く結果を出していない人が、何を言おうと世間は聞く耳を持ってくれません。

見出しの通り、今の時代は何を言うかではなく、誰が言ったのかが評価されます。

20代の孫正義が起業したばかりの時に、段ボール箱の上にのって

一兆円規模のビジネスを目指す

と言った話は非常に有名な話だと思います。

その時の周りのリアクションは言うまでもないですよね。

しかし、今や彼が言った一言で

世界が変わるのではないか

激動の時代が来るのかもしれない

といったほどの影響力を持っています。

ただ冷静に考えてみれば、不思議ですよね。

どの言葉も、孫正義本人が言った言葉です。本人の発言です。

それにも関わらず全く周りの反応が違います。

インフルエンサーという言葉をご存知だと思います。

直訳ではありますが、簡潔に表すと影響力のある人という事ですね。

ユーチューバーのヒカキンさんは日本中で非常に有名な方ですし、もはや彼がYouTube内で紹介したものがバカ売れするなんてことは、珍しいことではないはずです。

セブンイレブンの特集を彼が時折やるのですが、翌日にはセブンイレブンからその商品がなくなったり、メルカリで高額で扱われているなんてことも珍しくありません。

しかしながらこれも不思議です。

ヒカキンさんはスーパーで働きながらYouTubeをしていたのですが、その時と何が変わったのでしょうか。

段ボールに載っていたころの孫正義、スーパーで働きながらYouTubeをしていた頃のヒカキンが同じなようを事したらどうなったでしょうか。

これを、自分の周りに落とし込むと

どうせ今の私が言ったところできいてくれない

僕の今の身分では意見が通らない

というような感じではないでしょうか。

結局のところ、偉い人が決めたことに従っておこう。皆が進む方向に進んでいこうとなります。自分が何者でもないという考えから、マジョリティーに従うのです。

自分への自信のなさから空気を読むという選択肢に変わります。

減点方式の習慣

自信のなさから空気を読む選択肢をとる

と書きましたが、なぜ自信がなくなるのか。

それは学校教育が基本的には減点方式だからと考えています。

テストは100点から点数が減点されていきます。

バツが付くたびに100点から減点されていき、テストの結果が出ます。

学校は「間違うこと」を排除して、「間違わないこと」を正義のように扱います。

プロセスではなく、結果。また結果が望ましくないものであれば減点されます。

こんなにもマルが答案用紙にたくさんある!!

ではなく

こんなにも間違えてしまった

といったイメージです。

テスト直しを思い出してください。

テストでは正解したところに関してはノータッチ。

間違った問題を再度、解答してください

間違った問題をしらべてきなさい

など、徹底的に間違ったことに対してフォーカスされます。

正解した問題の解き方のプロセスを振り返ってください

別解を求めてください

のような取り組みはあまりないのではないでしょうか。

問題の正解も、みなと一緒の答えが正解の場合が多いです。

教科書通りの回答、つまり皆と同じ回答が正解となります。

まとめると、間違っている、みなと違っていることは徹底的に修正・または排除の方向にもっていき、減点方式の習慣から自信も失っていきます。

皆と同じ答えは「良い」とされるため自然とそちらの方向に流れていきます。

浮くことに耐えられるか

これまで見てきたように、自分の意見を押し通すことは「浮くこと」に繋がり兼ねません。

自分の意見を言う

主張する

は一見、響きはいいですが、叩かれます。叩かれても耐えうるメンタルはありますか。

ネット内は自由な発言ができる。自己主張できると思っていてもネット内でも叩かれます。

しかし、突き抜けてしまえば周りは何も言ってこなくなるかもしれません。

突き抜けた存在になりましょう。

周りを気にしている時間はありません。

空気を読んでいる時間はありません。

私たちの人生を、自分の為にあります。

まだ心に迷いのある人は以下の本を読んでみて下さい。

空気を読むことが無駄だと分かるはずです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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